HOME

mail


marici
homa
gohonmatsu


摩利支天
中条流(富田流)剣法と摩利支天 2
0  1  2  3  4  5  6  7  8  9
 
宝泉寺
   9/9  
宝泉寺
宝泉寺

藩公の守本尊 摩利支天(秘仏)

富田流剣法の元祖として、名声を響かせた名人、富田九部右衛門長家は、天正三年(1573)、富田治部左衛門景政の後を継いで、越前府中で前田利家公に仕えた剣の達人でした。

中条流免許皆伝のあかしとして受け継いだ摩利支天の尊像を大変も尊崇しておりましたから、利家公もまた、崇拝され、天正十一年(1583)に金沢城に入城したとき、城内越後屋敷に摩利支天堂を創建せられ、守護神として奉安し、末森の戦ほか、いくさのたびに兜の中に納めて出陣し、大いなる加護を受けられました。

慶長四年(1599)、利家公が薨じたまい、同六年(1601)二代利長公のとき、金沢城の鬼門にあたる卯辰山一万坪の地を寄進せられて、ここに奉安し、「摩利支天山」と命名の上、別当宝泉坊が勤仕したのです。

次いで慶長十一年(1606)、三代利常公は、富田重政に命じて堂宇を新築造立されたのはよく知られるところです。

、「名人越後」と呼ばれた富田重政は、知行一万三千六百石で、寛永二年(1625)四月十九日、六十二才で没していますが、剣聖と仰がれ、その名は天下に高く、

富田重康筆 摩利支天尊画像(部分) 富田重康筆 摩利支天尊画像(部分) 富田重康筆 摩利支天尊画像(部分) 富田重康筆 摩利支天尊画像(部分) 富田重康筆 摩利支天尊画像(部分)

その子重康もまた家芸を継ぎ、晩年は中風症を病み身体の自由を失いましたが、それでも「中風越後」と称され畏敬された名人でした。

ちなみに、右の画像には「富田越後守重康」の落款がみられます。
その他、富田流剣法に関わる摩利支天尊画像が伝来します。

このように前田家に仕え、藩公を守護してきたのが、富田流剣法の達人たちであり、ことのほか尊崇されてきたのが、中条流伝来、前田利家公守本尊の摩利支天なのです。 この秘仏の摩利支天尊の彫像は、現在、開扉予定はありません。

秘仏・摩利支天尊を、別当宝泉坊が勤仕してより、金沢城の北東(艮)の正面に当たるこの地に奉安鎮座ましまして、城内の鬼門を封じて、およそ四〇〇年。

以来、この由緒正しき摩利支天尊は、巨益の霊験を垂れたまい、武術修練の剣士は遠く全国から集まって、崇敬礼拝し、仏前に各々の武芸を奉納して、練武され、今日に至っています。

現在は、武門には兵法武術を、商家には商法を授け、その他、学問・芸能・スポーツ・選挙など、みなその道に進み、家運を開き、よく心願を成就して、心身堅固の霊験を顕現せられます。

選挙の必勝祈願所として、全国各地より信仰を集めています。

宝泉寺
宝泉寺
 9/9  
宝泉寺
 

Copyright © Ho-senji Kanazawa Japan. All Rights Reserved.